デス・オーバチュア
第68話「狗の誇り」





銀髪の剣士を通してからどれだけの時間が経っただろう?
宵闇の中、マルクト・サンダルフォンは、洞窟の入り口の前に一人立ち続けていた。
「……狗には狗に相応しい生を……そして、相応しい死を……」
天使。
天の使い、神の下僕……神の狗。
そして、天から堕ち今の自分はファントムという組織の……アクセル・ハイエンドの狗だ。
狗としての性からは逃れられない。
誰かに、何かに、従わなければ生きていけないのだ。
自らの意志で、自らのためだけに生きることなどできない。
下僕体質というか、奴隷根性というか、そういう風に創られているのだか仕方ないのだ。
ならば、せめて狗としての役割を果たそう。
「やはり、番犬であることを選ぶのね……解っていたことだけど……とても残念だわ……」
ゆったりとした染み入るような声と共に、この世のものとは思えない美しさの青い着物の女性が姿を現した。
「……貴方ですか……はい、これが私の生き方です……自由に生きる貴方には愚かとしか見えないでしょうが……私にはこの生き方しかできません」
マルクトは悲しげに目を閉じると、腰を沈めて、抜刀の構えをとる。
「ふふ……いいのよ、それもまたあなたの選択、あなたの選んだ運命なのだから……でも、できればあなたにはもっと幸せな未来を選んで欲しかったのだけど……」
青い着物の女性は青紫の髪を宵闇の風になびかせながら、マルクトに近づいていった。
「もうすぐやって来る美しいお姫様や可愛い死神の手を煩わせるのもどうかというもの……ここは、多少の縁を持つ私の手で……あなたに相応しい最後を与えてあげましょう」
青紫の美女の着物の袖口から青紫の短剣が滑るように姿を現し、左手に握られる。
「……感謝します、名も知らぬ女神よ」
「ふふ……覚えなさい、リンネ・インフィニティ……それがあなたを屠る神の名です」
その言葉を合図に、古き女神と片翼の銀天使の屠り合いが始まった。



クリア王国宰相にして魔法使いであるエラン・フェル・オーベルは唐突に姿を現した。
彼女の登場と共に、タナトスとリンネの会話は強制的に中断させられる。
「良く生き返えってくれました、タナトス様」
妹の友人であり、自分の仕事の上司ともいえる存在である藍色の髪の少女は、揺り椅子に座って宙に浮かび、タナトスとリンネを見下ろしていた。
「生き返ったばかりで申し訳ありませんが、さっそく指令です」
「んっ……」
タナトスは気を引き締めるように、エランを見つめ直す。
妹の友人、見た目は妹と年の変わらない少女に見えようととも、彼女は自分の上司であり、自分が奉仕……贖罪すべき国のほぼ全権を支配する存在なのだ。
「あなたの魂を探しに行ったきり、まだクロスもゴールディ様も戻られていない……私達は今最悪の状況、戦力下に居ます……それでも、今すぐ行わなければいけない任務……いえ、使命があります」
「クロスとルーファスが……」
エランの発言で、タナトスはここにクロスとルーファスの姿が見えないことに初めて合点がいく。
フローラだけで、ここにあの二人の姿が見えないのはおかしいと思っていたのだ。
「今まであなたに与えた任務で、最大、最難の使命となるでしょう……」
タナトスは意識をあの二人のことを心配することから、エランの発言を聞くことに戻す。
エランは無駄を嫌う質で、持って回った言い方をしたり、大げさに物事を言うことは今まで一度だってなかった。
そのエランがこういった言い方をするのである。
今度の使命は言葉通り、最大最難の使命に違いなかった。
「ファントムの本拠地が判明しました。そして、彼らの真の目的も推測がついています……タナトス様……いいえ、クリアの死神よ、女王のため! クリアのため! 世界のため! ファントムを殲滅しなさい!」
エランはとてつもなく強い『強制力』を持った言葉……言霊のレベルと化した言葉でタナトスに命じる。
「……承知しました。全ては女王のために……」
タナトスは主君にするかのように、エランに深く跪いた。
世界を管理支配するのはクリア国、そして女王こそクリア国そのもの。
自分は許されない罪を犯した、その罪はこの国への返しきれない借り……負債だ。
決して返しきることが、許される日が来ないことを知りながら、身も心も、自分の人生の全てを捧げることで、少しだけでも返すことができたら……。
だから、私はクリアの死神となったのだから……。
クリア国に対して犯した罪を、損害を支払うために、新たに殺人の罪を犯すのだ。
クリアの殺し屋、暗殺者……クリアの敵を狩る死神、それが自分。
罪を贖うために他者の命を奪う、贖罪のための殺人……なんて自分は愚かで罪深いのだ。
救われようなどとは思わない。
命尽きるその時までこの国のために尽くすだけだ。
罪と血にどこまでも汚れながら……。



宵闇の中を黒い法衣の死神が走る。
死界から(正確には、魔界、悪魔界などの異世界から)舞い戻ったばかりだが、体の調子は驚く程良好だった。
寧ろ、まるで生まれ変わったかのように、体中に力が漲り、充実しているのを感じる。
「タイムリミットは満月が中天に輝くまでです。それまでに、彼らの行うとしている儀式を阻止しなさい」
エランから言われたのはそれだけだった。
儀式がどういったものなのか、何の目的の儀式なのか、そんなことは自分が気にするべきことではない。
例え、細かく教わろうと自分には理解できないだろうし……何よりそんな時間を浪費するより、一分一秒でも早く使命を開始するべきだ。
なぜなら、もう時間がないのだから。
ファントムの本拠地で行われている儀式を妨害する……それはファントムを一人で壊滅させるということと限りなく同意語だった。
「いや、壊滅、殲滅させるのだ……」
儀式阻止はあくまで優先事項。
タイムリミットの原因に過ぎない。
至上目的は、ファントムという存在の痕跡を地上から完全に消し去ることだ。
「どのみち、儀式を阻止するためには、十大天使達を倒さなければならない……」
儀式阻止しようとする自分を彼らは阻止しよとするだろう。
「……それでいい。全て……倒す」
こっそりと進入して儀式だけを妨害する気などタナトスにはなかった。
正面から乗り込んで、十大天使を、ファントムに属する全ての者を倒して突き進む……それがタナトスの考え。
「それは勇気ではなく、蛮勇ですわね? いいえ、ただの愚かな自殺志願者ですわ」
疾走していたタナトスは足を止めた。
タナトスは警戒態勢をとり、周囲探る……までもなく、声の主はあっさりと姿を現す。
「舐められたものですわね。唯一人で、あたくし達十大天使を全て倒す? あなた、何様のつもりですの?」
黄金の波のような髪をした美女は嘲笑うかのようにタナトスを見ていた。
見覚えがある。
戦ったこともある。
確か、ファントム十代天使が一人……。
「……理解のビナー・ツァフキエル?」
「あら、覚えていてくださっていたんですの? それは光栄ですわ〜」
さっきまで可愛らしい表情でプンプンと怒っていたビナーは、一転して嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「ふむ、ルーファスは一緒ではないのか? 珍しいなあの男が自分の物から一時でも目を完全に離すとは……いや、そもそもあやつの気配が地上から完全に消え去っているのはどういうわけだ?」
ビナーの影に隠れていたかのように、もう一人の人物が姿を見せる。
「なっ……なぜ、あなたがファントムと一緒に居る!?」
タナトスにとってあまりにも予想外の人物だった。
ビナーの影から、蒼い髪のビナーの双子の姉であるケセドや、コクマなどが出てきても驚かない。
ケセドやコクマはビナーと同じファントムのメンバーなのだから、寧ろ自然なことだ。
歳を取って色素の抜けた白髪とは違う、艶と輝きのある白髪、青く澄み切った蒼穹の瞳、雪よりも白い肌、容姿の造形は彫刻か何かのように完璧で、怖いほどの美人。
ホワイトで出会ったルーファスの知り合いらしい人形師がファントムのメンバーと共にここで姿を現すとは夢にも思わなかった。
「まあ、成り行きだ……これと一緒に居るのは……」
白髪の人形師リーヴ・ガルディアは気怠げというか、面倒臭そうに答える。
「これ扱いは酷いですわ、リーヴ大先生!」
ビナーが不満の声を上げた。
「……大先生?」
いったいどういう関係なのだろう、この二人は……。
「で、ここに来たのは野暮用だ。ファントムが何をしようと構わぬのだが……少しやりすぎのような気がしないでもない……ついでに滅ぼしてもいいのだが、それはそれで面倒臭い……困ったものだ」
「……いや、困るも何も……」
何を言っているのだろう、この人は?
タナトスには、リーヴが何を言っているのか、いや、そもそもリーヴという人間が理解できなかった。
「まあ、いずれにしろ、ここに少し用があってな。コレが本拠地に戻るついでに一緒に来た……私の方の事情はそんなところだ」
「……私が言うのも変な気がするが……いいのか、本拠地に部外者を簡単に案内して……」
タナトスは何とも言えない表情を浮かべて、ビナーに尋ねる。
「リーヴ大先生は、あたくしの師匠、舞姫先生の創造主、マスターですもの、頼まれたら断れないですわ」
「……そういうものなのか?」
「ええ、そういうものですわ。それにファントムは別に隠れることに執着していないですわ。所在を突き止めて襲ってくるものが居るなら、堂々と迎え撃ち、返り討ちにする、それだけの力と自負があたくし達にはありますもの! まあ、それでも一応悪の秘密結社だから、一般公開はしていませんけど……」
「……悪の秘密結社……」
悪の秘密結社と言うと、どうしてこうも間抜けに聞こえるのだろう?
しかし、その悪の秘密結社……ファントムが世界に、この中央大陸にとって驚異なのは紛れもない事実だ。
「……だから、滅ぼさなければならない」
「ええ、あなた達、クリアは正義の味方ですものね。あたくし達が戦い合うのは定めなのですわ。まあ、でも、これ以上近づくのは少し待った方がいいですわ」
「……どういう意味だ?」
「目と耳を研ぎ澄ませて、向こうを……洞窟の入り口を捉えてみろ」
リーヴが口を挟む。
「洞窟の入り口……」
タナトスは言われたとおり、目をこらし、耳を澄ませた。
「聞こえませんか、剣戟の音が? 見えませんか、鋼と鋼がぶつかり合う美しき火花が?」
タナトスは視覚と聴覚に意識を集中する。
「…………見えた」
さっきまでまるで見えもせず、聞こえてもいなかったのに、今ははっきりと見え、はっきりと聞き取れた。
宵闇の中を高速で移動し続ける二つの人影と、金属同士のぶつかり合う鈍い音が。
「あら、この距離であの動きを捉えられるなんて、やっぱりあなた普通の人間じゃありませんわね」
ビナーが感心したように言った。
「……段々とはっきりと見えてきた、あれは……」
銀色の天使と青紫の和服美女。
人間によく似た、でも、人間でない二つのモノが、人間の限界領域を遙かに超えた戦いを繰り広げていた。











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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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